クラシック音楽教育のメリット:深津紘二朗

深津紘二朗の歌論。クラシック音楽教育のメリットと歴史について語ります。シューベルトの600余の歌曲は、そのほとんどが1814年から28年までの14年間に書かれたものである。

音楽教育の学会・国際会議/深津紘二朗

現場で音楽を教えている教師たちはどういう行動を起こせばいいのでしょうか。


一言でいえば、教える相手のための、よいカリキュラムを組むことに尽きます。そしてカリキュラムの内容はプラクティカル(実際的)で、ロジカル(論理的)でなければなりません。ただ、その際に自分と違った意見の持ち主の言い分を十分参考にするだけの度量を持つことは重要なポイントでしょう。


私の聞いた範囲ではアメリカの先生たちは、子供たちに音楽を通して興奮を与えるためにはどうするか、を真剣に論じていましたし、ニュージーランドではコダーイやカール・オルフの作品はカリキュラムの中では取り上げたくないとの意見が主流を占めています。つまり、このように多方面に分散する意見を自分なりに集約して新しい組み立て方を考えなければならないということなのです。


すぐれた先生はすぐれたアイデアを出すものです。そのアイデアを生み出す参考資料を得る場として、国際音楽教育協会(ISME)があります。


ISMEは音楽を教える立場の人々が2年に1度、一堂に会して討論を展開する大規模な学会です。日本ではまだ、あまり広く知られてはいませんが、60カ国から大学の研究者、現場の教師、演奏団体を含めて3000人近くもの人が集まって開く国際会議は、医学学会にも匹敵しようと言われるほどのスケールに達しています。


かつてイタリアの社会学者から「音楽は世界の共通語ではない」との指摘が出されていました。各国が独自の文化に根ざした音楽を重視すべきとの意見が強くなり過ぎてきてはいないだろうか、という内容です。


見方の違いの解釈にもいろいろあります。いまや世界的に有名な大作曲家、チャイコフスキーにしてもプッチーニにしても、その作品の味わいに関しての受け取り方は聴く人ひとりひとりによって違っています。音楽教育のあり方や進め方についても、現在の置かれた状況の解釈、問題点の受け止め方に違いが生ずるのは当然でしょう。だから私は、社会学者の意見も、立場の違いからくる指摘だと考えています。


そこで大切なのは、意見の違う人々が、自らの立場を利用して、音楽教育の効果を高めるために何をなすべきかを考え、実行することでしょう。



深津紘二朗